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集団飲酒を切り抜ける

2007.05.10 (Thu)
 10日ぶりのブログ。GW中の法事の酒席もなんとか乗り越えて、断酒継続中。

 法事の後、割烹料亭に行った。飲まない人が多かったのでちょっとは助かったが、となりに座った住職が飲むこと飲むこと。新潟の極上の日本酒を「この甘みがすばらしい」と賞賛する。最後のころには、ありがたい仏教話もろれつが回らなくなっていた。
 少しうらやましくなってしまったのは事実。しかし、酔っ払いを客観的に見るいい機会にもなった。体を麻痺させる毒物を口から注入するのを繰り返す姿が滑稽に思える瞬間があった。
 ともかく、断酒以来の初の酒の場を乗り切ったのだ。料亭ではこの本のことを思い起こしていた。

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 著者は私と同じ経験をしていた。

 退院して一か月のあいだにいくつかの酒席があった。無事に切りぬけられたのであるが、驚きはおおきかった。いまさらながら酒まみれの世間であると感心した。葬儀があり、歓送迎会があり、村の係り会があったが、すべて酒がともなっていた。みなさんは酒がでると目がかがやく。誰かが栓をぬくさまをうれしげに見ている。数分もするとたけだけしい声が飛びかう。ビール瓶をもってあるく。まあいっぱい飲めとしつこく銚子で迫る。葬式でも酒盛りになってしまう。媒酌人が新郎と新婦の紹介をしている間も、声たかく談笑しつつ飲むのである。わたしはといえば酒席の隅に避難しつつ恐ろしげに眺めるしかなかった。


 さらに酒と「日本文化」の関係をさまざまに分析して次のようにまとめている。

 日本では飲酒には社会性があって、単に酒を飲むだけに終わるのではなく友好関係と仲間性を飲むのである。酔いに参加することは、仲間であることを確認し強化しつつ成員の気分を安定させる儀式だということは、しらふっで生きるようになってわかったことである。酒のなかの薬理作用が活用される。普段のよそよそしさ、疎遠の壁を取りはずすことを酒に求める。だから飲酒は「公儀」で下戸も蒼ざめて、かぼそい声をしぼりだして、「しるしだけ戴きます」と盃をそっと受けるのだ。


 その通りだと思う。「集団飲酒は日本人の特徴」だという。また、次の指摘にギョッとする。

 日本人が集団飲酒を好むのは、人との一体化を強く求めているからだ。・・・飲酒という現象からも、シャイでやさしい国民性がよくわかる。現代日本の最大の疾病は、対人恐怖だと思う。「症」がつくほど対人恐怖の強い人はマレだが、人見知りをしたり、人の視線に思いすごす者は多い。電話にも緊張する。対人恐怖というのは、評価されたい欲求が強いのだが、自分をさらけだすことが下手だからなるのだろう。


 私はまさしく「対人恐怖」に取り付かれている。確かに人間関係がある程度うまくやれるようになり、緊張が減るのと比例して、酒が減らせるようになってきた。酒がなくても、自分をさらけだして、他人と仲良くなれればいいのだ。陽気な下戸の人に学ぼう。
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