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戦うべきは幼少期のストレスか~目の前のストレスに圧倒されないために

2007.09.17 (Mon)
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 大人が飲みすぎるのは、その時点でのストレスなどのせいだと思われがちです。確かにそういう側面もありますが、アル中になるほどの過度の飲酒は脳を萎縮させます。


 幼少期のストレスによって、脳の萎縮さえ伴うような飲酒行動が大人になってから現れかねないというわけです。多くの人は大人のストレスを気にしますが、子どものストレスはあまり気にかけないのではないでしょうか。脳の発達にとって幼少期はとても重要です。幼少期こそ、ストレスを気にすべきなのです。そうでないと、過度の飲酒に走るくらいですから、神経症的だったり、臆病だったり、不眠がちだったりなどの症状も現れやすくなります。いわば軽いPTSD的な症状です。


 仕事のストレスが再飲酒を引き起こす、起こしそうになることは普通に経験すること。そこで対処しようと思うのは、目の前の、感じている「ストレス」だが、本当の戦うべき、対処すべき相手は幼少期のストレスとその記憶なのかもしれない。
 かと言って、完璧な幼少期を過ごす人なんてそういるものじゃないし、何より幼少期をやり直すことも出来ない。
 ともかく、過去を、その記憶を清算する必要がある。目の前のストレスに圧倒されずに、そのストレスをストレスと思う自分、それに圧倒される自分、もしくはそういう自分に陥らせる自分の中の“何か”を見つめ、これをやっつける!!
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【編集】 |  14:07 |  過去を分析する─アダルトチルドレン  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑

アルコール依存と現実否認

2007.06.17 (Sun)
 交流分析家スタイナーによる分析。『アル中患者のゲームプレイ』(Games Alcoholics Play)という著書の中で、患者が主として演ずる“考えるな”(Don't think)という脚本について述べている。
 この本で紹介されている。

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 こどもは両親とどうもうまくいかない自分に気づく。自分が気分よく振舞っていると問題を起こしてしまうのである。こどもは本当の自分がよい子でない(OKでない)ことに気づく。これを克服し、よい子である(OKである)ようにするため、彼は自分の人生のスタイル、つまり“脚本”を自分で採用する。その脚本の中で彼は親から来る“お前はよい子でない”というメッセージの効果を抹殺するように試みるのである。
 アル中患者にとって重要な脚本のテーマは“考えるな”ということであり、これは起きていることと主張することとの間に、明らかな相違がある家庭において生ずるのである。目ざといこどもがこの相違に気づいてそのことを指摘すると、“親のいうとおりにしなさい”とか、“自分のことをちゃんとやっていればいいの”とか、あるいは“生意気なことをいうんじゃない”と叱られてしまう。
 生き残るためには、彼は心に栓をするようなメカニズムを見つけ出す必要がある。それが“Don't think”であり、大人になってアル中になるということは、彼にとって“考えない”脚本のゲームプレイ(現実否認)を続けるための素晴らしい方法となるのである。


 この「現実否認」癖は、アルコール依存者の人生に深く浸透し、問題を増やしていく。でも、本人は問題に思っていない。散々それにより苦しんでいたとしても。問題の原因、問題に苦しめられている自分を「現実否認」するのだから。
 もちろん、自分がアルコール依存だということも現実否認する。「自分が酒に対して無力だ」と認めることが、アルコール依存からの脱却の第一歩だとする、いろいろな人の意見も納得できる。
【編集】 |  15:54 |  過去を分析する─アダルトチルドレン  | トラックバック(0) | コメント(1) | Top↑

自分を“生け贄”にする癖

2007.06.03 (Sun)
 親の飲酒によって家族の誰かが困っていればそれは「問題飲酒者」。
 私の父親は今から思うとまさにこれだった。このような家族の中で育つ子どもは三重の苦しみを味わって育つのだそうだ。

依存症
信田 さよ子
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 第三の苦しみは、このような父と母が日常繰り広げるドラマの目撃者としての苦しみである。夫婦のいさかいは子どもにとって世界が割れる恐怖をもたらす。直接自分に向かう暴力は逃げたり避けたりすればいい。殴られた痛みも感じられる。しかし暴力の目撃者は暴力に対して無力なまま凍りついたように見ているしかない。目撃する子どもも虐待を受けているという主張がなされるのも、このような徹底した無力感にさらされる残酷さへの注目であろう。そしてアルコール家族の特色のひとつに、血を流すような夫婦のいさかいが翌日になると何事もなかったかのようにふたをされていくという処理の仕方がある。あのような争いがなぜ起き、どのように和解し、そのことで不安に震えた自分にどのような気遣いがされたかがまったく不明のままに放置される。意味不明の苦しみほど過酷なものはない。子どもはそのなかで苦しみに最終的意味づけをする。「ぼくが(私が)悪い子だから」と。このような子どもなりの最終的意味づけは、悪い子の自分がいるから親が苦しむ、こんな自分はこの世にいないほうがいいという根深い自己否定感に繋がっていく。



 この話も自分のことを聞かされているようだ。
 確かに、自分を取り巻く環境に対する「徹底した無力感」にさいなまれ続けて来た。自分にとって嫌な状況に陥っても、それを打開することはできないという、妙な感覚をいつも持っていた。嫌なことになってもそれを甘受するしかない。だから、何に対しても新しい環境に対しては、底知れぬ恐怖感を抱いた。
 そんなことしていると、いつの間にか自分が生け贄のような気がしてくる。悪い状況に陥ったら、それを切り抜けようと努力するのではなく、その状況に身をあえて置いて嫌な気分を味わうことが自分の使命のような気がしてくる。「マゾヒズム」に似てるけどちょっと違う。大昔の農民が、人間やら動物を捧げて、神に豊作を願う呪詛的な行動や感覚に近い。「ぼくが(私が)悪い子だから」と、身を捧げることで何か状況が好転すると思い込んでいるのだ。鬱病患者の典型的な思考法だと思う。
 社会人になってから、この考えは甘いことを思い知った。会社や上司は、特に民間企業においては、どんなに従業員である私をいじめたとしても、私が苦しむことを望んでいるわけではない。彼らが望んでいるのは「結果」、つまり“金”だ。どんなに私が身を捧げ苦しんでも、結果を出さない限り私を許してはくれない。そして私にとって衝撃的だったのは、売り上げ、金さえ稼げば、楽していいよ、ということを示唆されたことだった。この気づきは世の中の厳しさを知ると同時に、ある種の開放感をもたらした。私はそれまで「私が苦しんでいる姿を見せ付ければ、大人たちは私を許してくれる」と思っていて、それに基づいた行動をしていたのだ。しかし、そんな必要はないし、無意味だったのだ。
 「アルコール家族の特色のひとつに、血を流すような夫婦のいさかいが翌日になると何事もなかったかのようにふたをされていくという処理の仕方」も問題だ。アルコール依存者が飲んだくれて荒れたり、夫婦喧嘩を毎日のように繰り返すのには、家庭やその人間が根本的な問題を抱え、放置しているからだ。飲んだ夜は激しいいがみ合いをするが、翌朝にはけろっとしている。問題が解決された様相を呈する。しかし、問題は完全に未処理で放置されたままなのだ。喧嘩したいがために、問題を残していると思えるくらいだ。だから当然、また夜になると喧嘩が始まる。
 そして、怒りや問題への耐性が自分の中にできているのを感じた。「あれほど嫌な経験を毎日した自分だから、世の中でつらい目にあっても自分はがまんできる。自分は強いのだ」とこの経験を肯定的に捉えたりした。「この経験を生かし、社会に出ては我慢強さを発揮しよう」と。しかし、大事なのは我慢することではなく、何はともあれ原因となっている問題を解決することだ。我慢は二義的なものでしかない。
 ・・・などなど、「父と母が日常繰り広げるドラマの目撃者としての苦しみ」の後遺症は深く、長く長く続いたのでした。そして、未だにこれを乗り越えようともがいているのです。
【編集】 |  10:53 |  過去を分析する─アダルトチルドレン  | トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑

母からの共依存的支配

2007.05.26 (Sat)
 親の飲酒によって家族の誰かが困っていればそれは「問題飲酒者」。
 私の父親は今から思うとまさにこれだった。このような家族の中で育つ子どもは三重の苦しみを味わって育つのだそうだ。

 第二の苦しみは、母からの共依存的支配によるものである。これは成長過程ではそれほど意識されず、父によって苦しめられながらも自分を育ててくれた不幸な母、母を支えるのは自分しかいないと母の期待を先取りしてひたすらいい子として成長する。ところが成人して表面化するのが、母が自分の人生に侵入し寄生(パラサイト)していることによる苦しみである。離婚の恐怖を子どもに感じさせつづけたのに結局は離婚もせず、自らの不幸を子どもによって救われようとした母からの「愛情という名の支配」なのだ。


 これもまさしくその通り! 親元を離れて、経済的にも自立してしばらくたってから意識できたこと。一緒に住んでいると「母が自分の人生に侵入」していることにはなかなか気づけないだろうと思う。
 母は働いているが、仕事上の悩みや家庭での悩みを、わざわざ遠距離電話を通じて愚痴を聞かされたもんだ、毎日のように。「母を支えるのは自分しかいないと母の期待を先取りしてひたすらいい子として」の気持ちで最初は対応していたが、どこかで「母からの共依存的支配」に気づいた。そこで、意識的に突き放すことにした。
 父親のアルコール依存的な精神の脆弱さと同等、もしくはそれ以上に「母からの共依存的支配」は危険だ。生き方の発想がこれに縛られる。職場でも、会社からの「期待を先取りしてひたすらいい」社員として動き、鬱になったり自滅したりする。まずは俺は俺、両親は両親、会社は会社でそれぞれ自立して動いている、という前提に立たないと泥沼の「共依存」の関係に陥る。

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依存症信田 さよ子

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父親からの暴力

2007.04.22 (Sun)
 親の飲酒によって家族の誰かが困っていればそれは「問題飲酒者」。
 私の父親は今から思うとまさにこれだった。このような家族の中で育つ子どもは三重の苦しみを味わって育つのだそうだ。

 第一の苦しみは、父親から受ける酔っての暴言や・暴力や、しらふと酩酊の交代する人格のはざまでふりまわされる混乱によるものである。これらは虐待といっていいほどの残酷なものである。心的外傷(トラウマ)として対象化が可能であろう。父親の酔ってドアを叩く音が三十歳を過ぎてもよみがえり恐怖感で動なくなるという人もいる。


 これ俺だ! マンションやアパート住まいで、隣や下から「ドン!」とか音が聞こえると、ドキ!っとする。「やるが来る」と反射的に思うのだ。「やつ」とは父親である。でも今は100kmも遠いところで10年以上暮らしている。動けなくなるまでは行かないけど、今でもあの恐怖は体に染み付いて離れない。

そんな父親との生活が日常である時、子どもは家族の中で生き延びるためにいくつかの技術を身につける。たとえば「見ない、聞かない、信じない」ようにして自分を守るのだ。


 そうなのか、最近は随分私も回復してそういう意識は薄れてきたが、確かにそうかも。「見ない、聞かない、信じない」という壁は、まだ自分の中に残っていると思う。この壁を突破していきたいと思う。

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